「新しいい生ける道」
- koshigaya0
- 1月13日
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「新しい生ける道」
へブル10章19-25節
1月はマラソン大会が行われる季節でもあります。いつも思うのは道を確保するだけでも準備が大変だな、ということです。神は、私たちに道を備えてくださいました。それが
「新しい生ける道」です。来週は教会総会です。今日はこの箇所から三つのことを見てみます。
●この道は主イエスによって備えられた道
この道は主イエスによって備えられた道です。19節に「こういわけで」とありますが、主イエスの贖いがあってです。へブルの記者が特に記しているのが、大祭司として主イエスの役割です。5~10章まで大祭司として主イエスの役割を記しています。ユダヤ教では、大祭司は神との人を繋ぐとても大切な存在でした。主イエスはご自身の十字架の死という肉体の犠牲を通じてその道を開かれたのです。
●この道は神との交わり道
ユダヤの人々は、神との交わりを回復するために贖罪を続けていました。ヘブル書における「救い」は「神に近づく」という言い方で表わされます。神に近づき、神のふところに近づくことができること、それがヘブル書のいう救いです。「真心から神に近づこうではありませんか」という奨励には、それが可能とされた神の大きな恵みがあるのです。神に近づき、神と交わる。これは何物にも優る恵みです。
●この道は共同体として歩む道
私たち主が備えられた道を通じて神に近づく時、その恵みは個人的なことと同時に神の民が共に集まる所にもたらされます。ですので、25節にあるように集まって励まし合うことが大切です。越谷教会も38年の歩みです。その中でも感謝なことは「いっしょに歩いてきた」ということです。お互い、生い立ちや背景は違います。しかし、主に召し集められた者たちは共に集まって、互いに励まし合って行きましょう。それは主イエスが私たちに願われていることだからです。


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