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インマヌエル
越谷キリスト教会
礼拝メッセージ
26/9/6 「真に確かな道」
「真に確かな道」 箴言3:5~10、16:9 私たちは様々な道を通ります。ですが、真に確かな道があります。箴言3章2~10節は、その真に確かな道を三つの側面から教えています。 ●創造主を中心に生きる道です。 聖書は「心を尽くして主に拠り頼め」(5)と命じています。自分の悟りに頼るなとは、考えることをやめる意味ではなく、自分の理解を人生の最終基準にしないということです。人は目の前のことしか見えませんが、神は初めから終わりまでをご存じです。だからこそ、神を主として認め、人生の主導権をお返しして歩むとき、主はその道を整えてくださいます。 ●創造主を土台に生きる道です。 「自分を知恵のある者と考えるな」(7)とあるように、真の知恵は主を恐れることから始まります。主を恐れるとは、神を遠ざけて恐れることではなく、神を神として重んじ、そのみことばに従おうとすることです。そして悪を離れるとは、神に示された罪を悔い改め、そこから離れようとする姿勢です。そのように主を土台として生きる人は、試練の中でも支えられ、全存在に深い健やかさが与えられます。
26/8/2 「神の約束の虹」
「神の約束の虹」 創世記9章8~17節 今回は有名なノアの洪水の後の出来事です。ノアに神は虹を見せました。ただの虹ではなく、「わたしの虹」とあるように神の虹でした。それが神の契約、約束を象徴するものでした。それは洪水で荒廃した世界の希望だったのです。 ●世界の現実(荒廃した世界) ノアたちは大きな洪水を経験しました。水は引きましたがその世界は荒廃していたでしょう。災害や戦争は荒廃をもたらします。また心の荒廃もあるのではないでしょうか。デジタル化、ワークライフバランスの崩壊、経済的な不安と将来への不確実性など私たちを取り巻く環境は厳しさを増しています。その中で人々の心が荒廃しているのです。 ●神の約束の存在(キリストの十字架) このノアの時代も世界は荒廃していました。しかし、その中に神の約束はあります。荒廃した土地で神はノアに大洪水はなさらないという約束をされ、「永遠の契約」と言われました。「契約」ということが聖書の中心的なテーマです。その最大の約束が主イエスの十字架の救いです。世界の荒廃の最大
26/7/5 「真の相談相手」
「真の相談相手」 (詩篇119:9~24) 私たちはいろいろ悩み事にぶつかります。そして誰かに相談することも多くあります。ご主人や奥さん、友達や同僚、先輩などいろいろあるでしょう。お金を出してカウンセラーや弁護士に相談することもあります。また、最近はAIに相談するということがあります。高齢者の方も将来の不安のために使っているという番組もありました。AIは記憶したものの中から最適と判断した答えを示します。それらも意味はあるでしょう。ですが、AⅠには限界もあります。一つは責任を取れない、相手の状況を理解できない、誤り・間違いがあるというような点です。 しかし、聖書では、私たちにとって真の相談相手とは創造主である神であるとあります。今回の詩篇119篇24節には、「あなたのさとしこそ 私の喜び 私の助言者です」とあります。「あなた」とは創造主である聖書の神です。「助言者」とは「相談相手」とも訳されています。私たちの真の相談相手になってくれるのは、この神自身です。 この神は①責任をとってくださる方です。神はご自身の約束を
「私たちを見ておられる神」26/6/7
出エジプト3章7~12節 日本で初めて訓練された看護師を主人公としたドラマが放映されています。その中で看護師は患者の方々をobserve(観察)とでてきます。聖書の神は私たちをオブサーブしていてくださる神です。今回の箇所は出エジプトの最初の箇所です。この箇所から聖書の神について学んでみましょう。 ●聖書の神は私たちの生涯の土台 聖書の神は私たちの生涯の土台です。西洋音楽の音階はドで始まります。ドは「ドミヌス」のドで「主」という意味と言われます。これは聖書の神を示します。聖書の神は創造者であり、世界の土台です。そして私たちを造られ、お互いの生涯を導かれる方です。その神は私たちの人生に真のコンパスを与えます。その意味で私たちの生涯の土台なのです。 ●聖書の神は私たちを愛しておられる方 聖書の神は私たちを愛し、私たちを見て、助け、導かれる方です。当時、イスラエルの民は奴隷として苦しめられていました。神は、その民のことを決して忘れておられませんでした。その悩みを見、彼らの叫びを聞き、痛みを知っておられました。そして彼らの叫びが主に届き、主は彼らを救うた
「復活の主にある希望」
ヨハネ20:1~20 今年のイースターの朝を迎えました。寒さが厳しいヨーロッパでは春の訪れは大きな希望でした。その希望とは主イエスがメシヤとして聖書の預言どおり、この世界に来られたこと、そしてその主イエスが、復活されたことです。この希望は根拠ある希望なのです。 ●私たちは希望の見えない世界に生きている 主イエスが復活された朝、マグダラのマリアと他の女性たちが墓に来ます。主イエスのご遺体はありませんでした。ヨハネとペテロも来ます。彼らは復活を理解することができませんでした。他の福音書は驚いたとあります。一人残ったマリアが振り向くと、復活された主イエスがおられました。しかし、彼女はそれが主イエスだとわかりませんでした。「わからない」「理解できない」とは私たちの現実の生活にも多くあります。そして希望を失います。 ●私たちは、主イエスの復活という確かな希望がある。 復活は聖書に記された約束です。聖書を彼らは理解していませんでした。創世記22章、ヨナ書、詩篇16篇などはそれを示唆しています。何より、主イエスご自身が、復活を預言しておられました(マルコ8:3
神の国トーク
「神の国トーク」 マルコ福音書10章13-16節 国を背負っての冬季オリンピック、国を良くするためにとの今回の突然の選挙。これら重なりました時事に私たちも先週から少しお疲れ気味ではないでしょうか。私たちの国籍は神の国にあります。私たちは神の国のパスポートを所持し人生行路を旅しています。「通路支障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸管に要請する」(パスポートの外務大臣印)と記されたこの世のパスポートのように、神の国パスポートにも主イエス印があります。そして主イエスに召しだされた私の仕事はこの「関係諸管」であると認識しています。この神の国の国家公務員職務?を全うさせていただきたい。 この神の国とはどんな国か、聖書に聞いてみます。 〇神の国に住む人はどんな人 お働きの終盤、主イエスは弟子訓練を急がれ、十字架宣言、本当のリーダーシップを示されますが順位争いに呆ける彼らはその胸中いざ知らず。そこへ企みのあるパリサイ人、また幼子に祝福を求める人々、金持ちの青年、いろん
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