「神との平和」 ローマ5:1~42024/9/5
- koshigaya0
- 4月2日
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8月が終わり、9月となりました。8月という月は平和について 考える月でもありました。現在もそうです。ウクライナ、パレスチ ナ問題もあります。日本もいつ、どうなるかはわかりません。 聖 書は平和の重要性を説いています。同時に人が真に平和に生き るには、この神との平和が必要であると語っています。 ●神との平和は、真の平和の根幹です。 平和を乱すものは戦争だけではありません。「平和」とは「世の 中が争いなく平穏であること」「心配事もなく穏やかであるこ と」というような意味があるそうです。「心配事もなく穏やかで ある」とはなかなかないかもしれません。家庭や職場もそうです。 本来、神は、世界を平和に造られました。同時に人にこの世界を 託されたのです。つまり、この世界の平和は人にかかっているの です。ですが、多くの人はその神の命令、神の存在すら忘れ、そ のために神との関係が壊れていると聖書は教えています。平和 の根幹が崩れているのです。 しかし、ここには「神との平和を持 っています」とあります。私たちも持つことができるのです。 ●それは主イエスキリストによる恵み 1 0節には人は「神の敵」とされています。神との間に平和がな いのです。そういう人間が神の前に出ようものなら、罰を受け、 死ぬしかありませんでした。しかし、主イエスが十字架でその私た ちの罰を背負ってくださったことにより、神と和解することがで きたのです。ここに神との平和の基礎があるのです。神の御前 に恐れなく、大胆に進み出ることができるようになったのです。 そして幼子が、父親の胸元に飛び込んで行くように、大胆に近づ くことができるようになったのです。 神は私たちが神との平和を持つことができるように設計し、計 画してくださっています。それは主イエス・キリストという手段を通 してです。私たちは主イエス・キリストの十字架により、神と和解 し、神との平和をもつことができるのです。この神と平和によっ て真の平和を実現するお互いでありましょう。
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