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「知れ、わたしこそ神」  詩篇46篇2025/1/5

  • koshigaya0
  • 2025年4月2日
  • 読了時間: 2分

新年を迎えました。新年の営みの上に主の祝福をお祈りしています。詩篇は旧約時代の信仰者共通の信仰告白です。この詩篇46篇は、宗教改革で有名なマルチン・ルターが、迫害の中で支えとしたことで有名です。歴史的背景としては、アッシリアによるエルサレム包囲の際の主の助け、と考えられています。繰り返されていることばで「揺れ動く」とあります。時代は揺れ動きます。しかし、揺れ動かないのは主の助けです。

①静まる 

 「やめよ」とあります。ここで使われているもともとのヘブル語には、「手を引く」「見捨てる」「放っておく」「避ける」という意味があります。災害や戦争など「揺れ動く」とき、大切なのは神の前に静まり、問題の只中に、神の救いを見出すことができるようになるのです。だからまず、神の前に静まることが大切です。

②体験する

  神の前に静まり、私たちは何をするのでしょうか。それは神を体験するのです。「知れ」とあります。知るとは知識だけでなく体験です。「わたし」という主は「圧倒的な力」のある方であり(8)、同時に私たちに最善をしてくださる方です。その最善も想定外のものです。その証として、主は私たちのために、御子をさえ送ってくださった方なのです。

③信頼する

  神は圧倒的に力強い方であり、私たちに想定外の最善をしてくださる方です。だからこそ、この神に信頼して行きましょう。私たちは、今年も人生の困難にぶつかるでしょう。ですから避け所が必要です。避け所とは安全な場所です。神は避け所となってくださる方です。「われら」とあります。基本的に信仰は個人のものです。同時に共同体としての信仰も大切です。教会に連なる私たち一人ひとりが、今年も個人、そしてお互いに神の前に静まって神を体験して行きましょう。そしてこの神とともに歩む一年としましょう。  

 
 
 

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