「私たちの土台、それは創造主」(伝道者1:1~11、12:1)
豊臣秀吉の辞世の句に「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」とあります。そのような思いを持ったことがあるのは彼だけではないでしょう。聖書ではむなしい生涯の理由は、土台がないからだと語っています。土台とは創造主である聖書の神の存在です。
●土台のない生き方。その結果は「むなしさ」。
伝道者の書の「伝道者」とはソロモンという王とされています。彼は紀元前約1000年の人物で成功した王でした。その彼が自分の人生を振り返って記しています。その内容は、まず「人生はむなしい」ということです。彼は「空の空」「すべては空」と語っています(1~3)。「空」とは「すぐに消えてしまうもの」の比喩です。人生はそんなもの、という方もいますが、聖書にはそのむなしさから解き放たれる道が示されています。
●土台のある生き方とは創造主を中心とする生き方。その結果は満足と喜び
そのむなしさから解き放たれる道を聖書は私たちに示しています。それは人の本来の生き方に帰ることです。人本来の生き方とは、創造主である神を土台として生きる生き方です。それが12章の1節にある「あなたの創造者を覚えよ」です。この創造者である神を覚える時、人本来の姿で生きることができるのです。人本来の姿とは喜びや満足のある生き方です。本来人はそのように造られたからです。
●その土台のある生き方をしよう
私たちは創造主を覚え、喜びや満足のある生き方をすることできれば幸いです。「覚えよ」とあります。この「覚えよ」とは「心に据える」ということです。創造主を自分の心の土台とするのです。具体的には聖書は神のことばを土台として据える生き方です。創造主を土台として生きましょう。それは今、という時が大切です。年代に関わらず、主を求めましょう。そして新たな一歩を踏み出していただれければ幸いです。
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