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「真に心をほぐす方主イエス」 マタイ11:22~33 2024/7/7

ライフラインのビデオをご覧いただきました。教会でカフェをしておられる先生のお話でした。カフェに来られる方はコーヒーやケーキも目的でしょう。しかし、それ以上に心のやすらぎを求めているのではないでしょうか。私たちの周りには疲れ果てている方々が多いのも事実でしょう。その中で「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と、主イエスは私たちを招いてくださいます。私たちが疲れたとき、重荷を負うとき、「わたしのもとで休みなさい」と主イエスが呼んでくださっているのです。

主イエスが活躍しておられたイスラエルでも今と同じような疲れはあったでしよう。子育て、人間関係、経済問題などは同じです。さらに律法の重荷というものがありました。律法とはユダヤ教の様々な戒律です。本来、律法は人が本当に幸せになるためにつくられたのです。しかし、いつの間にかそれは人を裁き、分け隔てるために利用されるようになっていました。人びとはそのような重荷に苦しんでいたのです。

そのような人々に主イエスは私のもとに来なさい、と語られました。主イエスは「わたしのくびきを負いなさい」と語られました。くびきは休むために負うものではありません。それなのに「そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と語られたのです。

「疲れた者、重荷を負う者」は、何に苦しんでいたかというと不条理や愛の欠如といえます。当時の指導者たちは人々に重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしませんでした。主イエスは私たちを大切にしてくださる方です。その証として私たちのために十字架に架かってくださいました。だからこそ、この方に信頼することができ、この方のくびきを受けることができます。それは主イエスにある新しい人生なのです。

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