オリンピックがたけなわです。オリンピックは平和の祭典とも呼ばれています。ですが、現実は世界各地で戦争・紛争が絶えません。人は平和を求めています。「平和とは争いがなく、おだやかなこと」という定義がありますが、なかなかそうはいきません。しかし、可能なことが唯一あります。それが「実に、キリストこそ私たちの平和です」(14)という、キリストによる平和です。
エペソ人への手紙は使徒パウロがエペソの教会に書いて送った手紙です。エペソには多くの民族がいました。そこにはユダヤ人とそれ以外の民族という対立がありました。そこにあるのは「敵意」です。「敵意」とは敵を排除しようとする感情です。それは国と国、だけではなく、家族、夫婦、学校や職場の中にも存在します。ですが、キリストによって、そのような「敵意」は廃棄されたのです。それだけではなく「新しい一人の人」を造り上げるのです(15)。それが主イエスの十字架です。それは二つのことを意味します。
●自分が罪人であることを知っている人
人は十字架の前に立つとき、何々人、などという前に、神の前に一人の罪人であることを知ります。「敵意」どころではない、みな、神の前には罪人であり「自分背きと、罪の中に死んでいた者」(1)であることを知るのです。
●神の愛と恵みを知った人
そして、自分の罪深さを知った人は神の愛と恵みの深さを知ります。「あなたがたが救われたのは恵みによるのです」(エペソ2:5)とあります。それは背きの中に死んでいた私たちがキリストとともに生かされるという恵みです。
「平和はじめて知ったイエスに出会ってから、愛、はじめて知ったイエスに出会ってから」との讃美歌のように、私たちはこの主イエスによって、神の愛と恵みを知り、他人を赦し、愛することができます。「キリストこそ、私たちの平和」です。 この平和が私たちの心と世界に実現するように祈って歩みましょう。
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