「希望の若枝・主イエス」 イザヤ11:1~10 2025.12.7
- koshigaya0
- 6 日前
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今年もアドベントのシーズンを迎えました。この年を振りかえると一つ心に留まる光景があります。それは戦争の傷跡です。特にパレスチナのガザ、ウクライナでもそうでしょう。このイザヤ書にそのような世界の現実が示されています。このイザヤ書は主イエスへの預言も多く含まれています。この11章には「希望の若枝としての主イエス」が記されています。
●困難な世界の現実
1節には「エッサイの根株から新芽が生え」とあります。イスラエルは自らの罪のために国が滅ぼされる経験を何度もしました。木々が切り倒されて根株しか残っていないという全く絶望的な状態でした。歴史を考える時、そのような世界でも日本でもそのような光景は繰り返されてきました。同時に「心の焼野原」という状態が人にはあるのではないでしょうか。
●ですが、神にある希望がある。それが主イエス
世界は切株のような現実があります。しかし、1~2節は希望の預言です。その切り株から、芽が出るのです。「エッサイ」というのはダビデ王の父、その子孫から、ダビデより遙かに勝った王、全人類の救い主イエスが来られる、という預言です。この若枝なる主イエスは「主を恐れる」生き方に変えて下さる方です。「神と人を愛する」という正義です。それを回復させるのは主イエスであり、新しい世界(6~9)をもたらします。
●私たちは、この主イエスを求め、留まりたい。
ローマ5:5には「この希望は失望に終ることがありません」とあります。この希望の若枝である、主イエスを私たちは求め、留まってまいりましょう。あの博士たちも羊飼いたちも主を求めて見出しました。私たちはそのためには聖書を読み、祈ることです。教会に集まり、ともに恵みを分かち合うことです。そうして主イエスを求め続けるこのアドベントのシーズンでありましょう。
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